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映画

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2006年4月 1日

iTMSヴィデオ・ポッドキャスト「FLY」とDVD「FLY」

iTMSのヴィデオ・ポッドキャストにFLYというのがあります。
こちら↓。

Fashion Films - FLY - FLY

DVDマガジン「FLY」の一部をヴィデオ・ポッドキャストで配信しています。
このポッドキャストの「FLY DVD Trailer」(DVDの予告編)を観てからポッドキャストではなくてDVDが欲しくなったので買いました。
FLYは「ファッション・フィルムズ」と分類されていますので、内容も有名デザイナーのファッション・コマーシャルを観ているようでなかなか宜しいです。
この手の映像は一歩間違えると薄ら寒くなりますが、FLY DVDは概ね良好でした(まだ全部観てませんが)。
公式サイト

「ヴィデオ・ポッドキャスティング視聴→購読→商品購入」という、ずばりな買い方をしてしまいましたが、映像の情報伝達力と情報量の密度を改めて認めつつ、映像をつくることを知っている立場としては「文字より強い情報伝達力」と簡単に言ってくれるなと思います。
そのように簡単に言ってしまうと、多くの人は「映像は気軽につくれる」と思ってしまいます。
控えめに言っても「映像は簡単に作れると思っている人が思い描く労力の3乗が実際の労力」です。
iLife '06で簡単になっているように感じるのは錯覚です。

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2006年3月23日

気になった商品をいくつか紹介

まず最初は、いつDVD化されていたんだ、というもの。

映画:風の歌を聴け
風の歌を聴け

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」がかなり前に(むしろ大昔に)映画化されていました。
10年くらい前に寂れたレンタル・ビデオ・ショップでアルバイトをしていたんですがその店にこの映画が置いてあり、しばらく誰も借りていかないので、観てみました。

同様に、村上春樹原作の映画、「100%の女の子 / パン屋襲撃」もあります。
数年前にDVD化され、こちらは発売当時に買いました。

映画:100%の女の子 / パン屋襲撃
100%の女の子 / パン屋襲撃

上記3作品とも自主映画の女王と呼ばれた「室井滋」がヒロインとして出演しています。
映画としてみるならば、当時はどうだったかしならないけれど、割ときつめです。
何がどうきついのかは、鑑賞後、各々判断してください。
その「きつさ」を体験する価値は大いにあります。


次、写真集の話題。

続きを読む→気になった商品をいくつか紹介

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2005年6月27日

劣化コピー、映画「電車男」

原作(この場合はまとめサイト)と映画を比べてしまうのは原作がある映画の逃れられない運命だとすれば、この映画は劣化コピーとしか言いようがない。何もかもが中途半端で、あらゆる点において薄っぺらく、全てのコマに製作(制作ではない)サイドの無理解を感じた。映画じゃない。テレビドラマ、しかも2時間スペシャルもの以下のレベルだった。

続きを読む→劣化コピー、映画「電車男」

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2005年5月15日

猿の惑星 コーネリアス・フィギュア

ape.jpg
猿の惑星のコーネリアス・フィギュアを手に入れた。
学者らしく何冊の本の上に座り、手には人間の頭蓋骨を持っている。本の中には「猿の惑星」、ダーウィンの「進化論」が見える。
足下の人形は確か「続・猿の惑星」に出てきたアイテムだ。

実はこのフィギュア、10年くらい前に用事があって行った大宮駅前の雑貨屋(もしくはおもちゃ屋)で見かけてから、ずっと欲しいと思っていた。
探せばあったんだろうけどそれほど真剣に探していなくて、たまたま見つけたら買おうか、くらいの気持ちだった。それから10年。ネットオークションで見つける。

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2004年11月15日

Star Wars Episode III Teaser Trailer

2005.05.19公開のエピソード3の短め予告。ダーク・サイド満載。全てが意味ありげに見えてしまうので深読みはしない。

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2004年9月25日

華氏911を観る

どれだけのアメリカ人がこれら一連のできごとを知らずにいるか、あるいはどれだけの日本人が知らずにいるか、とても疑問だ。
劇場で何度かの爆笑が起こったが、笑った日本人は平和だ。
苦笑はしても爆笑はできない。
無害な映画を観て、無害なテレビを観て、無害な音楽を聴いて、無害な社会に身を置くと暗闇がどんなものだったかさえ忘れてしまうのかもしれない。そしてそれは既に無害ではなく、有害になっているのかもしれない。

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2004年3月17日

知らなかった。「青い車」が映画化なんて。

どうやら今となっては古い情報みたいだけれど、よしもとよしともの「青い車」が映画になる。
大学生の頃、「青い車」をぼろぼろになるまで何度も読み返した。
「青い車」は90年代のほとんどが詰まっているマンガだった。そしてそれは変わらない何かでもあるような気がした。
この記事を見つけたとき、久しぶりに興奮した。

2004年、シネ・アミューズでロードショー。
公式サイト

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2003年11月23日

映画館で映画を観るときに思うこと・1

マトリックス・レボリューションズを渋谷の映画館で観てきました。方々で言われていることですが、監督のウォシャウスキー兄弟は本当に日本のマンガやアニメをかなり観ています。ドラゴン・ボールや宮崎アニメはもちろん、ガッチャマンの匂いも感じました。クエンティン・タランティーノもキル・ビルで日本映画にオマージュを捧げてますが、ウォシャウスキー兄弟は日本のアニメにオマージュを捧げてます。
ここで思うことは、日本の映画でウォシャウスキー兄弟やタランティーノがやった方法で日本の文化にオマージュを捧げても、恐らくそれはヒットしないだろうということです。技術の差ではなく、演出の差でもなく、予算の差でもなく、日本以外の文化圏で日本の文化に対するオマージュを捧げるからヒットするのだと思います。どうして「日本以外の文化圏で日本の文化に対するオマージュを捧げるからヒットする」のかというと、日本人に日本の文化を卑屈に感じる傾向があるということ、そしてもう一つ、異文化による自国の文化の再構築がすごく新しいものに感じられるという理由があるからです。
卑屈に感じてしまうのは国民性かもしれないし、あるいは日本の文化が戦後アメリカ文化にレイプされたからかもしれません。このあたりはかなり根が深いので、改めて書きます。異文化による自国の文化の再構築については、当たり前のことですが自国の文化の新たな発見とか、今まで見過ごしていたものが実は世界レベルでは評価されるものだったという、江戸時代の文化が開国後、欧米諸国から評価されたことに似ています。欧米諸国から評価されないと自信を持てない日本人の体質もかなり問題ですが、これも根が深いので、改めて書くことにします。

日本のオタクの多くもかつて鎖国状態であったと言えます。一部の関係者や日本に精通している外国人はその輪の中にいましたが、現在のような広がりはありませんでした。ところがインターネットによって「OTAKU」が世界中へあっという間に広がり、認められ価値あるものとしてそのポジションを成立しました。このようなポストモダン以降の文化を批評家の東浩紀氏が分析・批評しているので、興味があったら読んでみてください。
で、マトリックスとキル・ビルですが、この二つの映画は平たく言うとただのオタクが撮った映画です。しかもハード・オタクが撮った映画です。監督をよーく見ればオタクの臭いがぷんぷんします。ウォシャウスキー兄弟はアニメオタクで、タランティーノは映画オタクです。オタクによる大衆のための映画がこの二つの映画です。タランティーノがハード・オタクなのはレザボア・ドッグズの頃から知られていることですが、この二組の監督は、オタクの共通言語を大衆向けに翻訳するのが非常に巧みだと僕は思います。キル・ビルはまだ見ていないので何とも言えませんが、マトリックスは、大衆向けにつくられたポストモダン以降の物語です。ウォシャウスキー兄弟の次回作に期待。

と、ここまでかなり長く書いてきてしまいましたが、本題はここからです。が、さらに長くなるので、エントリーをもう一つつくります。上のエントリーが続きです。

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映画館で映画を観るときに思うこと・2

「映画館で映画を観るときに思うこと・2」です。下のエントリーからの続きです。
唐突ですが、映画館はリビングルームではありません。沢山の人がお金を払ってそこに集まり、大きなスクリーンと大きな音で映画を観るというとても当たり前のことを忘れている観客が必ずいます。自分の家と勘違いしている大馬鹿野郎が必ずいます。アルコールを飲み、さきいかを食べ、周囲に不快な臭いを振りまき、食べるときに大きな音がする食べ物(例えば煎餅とか)をバリバリと食べるクズに等しい観客が必ずいます。彼らは一体何を考えてここにいるのかとさえ思ってしまいます。さらに己の座高の高さを顧みず、堂々とシートに座っている木偶の坊も必ずいます。こいつは自分の姿を鏡で見たことがないのか? と疑ってしまいます。君たちにとって人生って何? と問いかけたくなります。運が悪いのか、僕が映画館に行くと必ずこのようなノー・マナー、ノー・フューチャーな人間がそばに座っています。思い切って注意をしようと何度も考えましたが、注意した後、注意したという行為によってお互い不快な気持ちになり映画に集中できないという、身も蓋もない状況になるのも嫌なので今まで我慢していました。しかし今回マトリックスを観たときですが、僕の怒りは最高潮に達していました。
そのノー・マナー、ノー・フューチャーの二人は僕の真ん前に座っていました。ビールを飲み、さきいかを食べ、座高が異様に高かったのです。映画を観るよりも何よりも、酒とさきいかの臭い、そして己の姿に自覚のない態度にあまりに腹が立ったのでシートを何度も蹴ってやりました。が! 蹴られたことを不快に思ってか、シートに寄りかからず前のめりになったのです。こうなるとどうにもなりません。僕は敗北感たっぷりのまま映画を観ていました。ネオと共に戦いを始めて早1時間。僕は早くも敗北し、ネオはザイオンを救おうと必死に戦っていました。僕はどうやら戦う方法を間違えたようでした。彼らには自分が迷惑行為を働いている意識が全くないようで、逆に僕の方が悪者になっていました。最低最悪の状況です。映画終了後、彼らはエンド・ロールが始まるのと同時に退席しました。
あれからかなり時間は経っていますが、未だに敗北感で一杯です。ちくしょう、次回は絶対にきっちりと注意してやる!

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2003年12月 1日

映画の中で日本人以外の人種が日本語を喋るとき感じるずれ

KILL BILL vol.1を観ました。今回の映画館では二人組のオタクが隣に座りました。いわゆるザ・オタクです。小太りでチェックのシャツを着て、早口でした。彼らはチョコレートを食べと甘いにおいのするジュースを飲みながら、いちいち細かくスクリーンにつっこみを入れていました。どうでもいい感想をその場で必死に伝達しあっていました。お前らには必要かも知れないが、そもそもそのつっこみとか感想はただの状況説明にしかすぎないんだよ、と思いました。思っただけで、注意できませんでした。そんな自分にがっかりです。彼らが小さい声だったとはいえ、激しく不快でした。前回のビール&さきいかでは肉体的に不快でしたが、今回は精神的に不快でした。どうにかならないもんでしょうか、日本の映画館のマナーは。演劇を観るときは飲食禁止、私語は白い目で見られるのに、どうして映画館では自分の家と同じような行動をとるのでしょう。己の欲望の赴くままに観たいのなら、ビデオ・DVDになってから家で観ればいいのに。
で、KILL BILLですが、多くの人たちの感想で、ユマ・サーマンとルーシー・リューの日本語が気分をそらすとか、無理矢理日本語を喋らないで全て英語にすればいいという声があります。僕も最初はそう感じましたが、いやいやちょっと待てよ、それは違うぞと思いました。設定上、ユマ・サーマンは日本語を勉強してきていて、ルーシー・リューは中国系アメリカ人です。お互い英語が話せるから英語で話せばいいのですが、オーレン・イシイ(ルーシー・リュー)はバイリンガルです。日本にいて日本語を話すから日常では頭の中が日本語になっていて、相手が英語を主に話す人であっても、日本語で喋ってしまうという脳の状態になっているのでしょう。なので、あの二人のぎくしゃくした日本語のやりとりはあれでOKです。下手な日本語は女優としてのルーシー・リューの練習不足です。無理矢理理由をつけているようですが、そうではありません。
ただしここで、日本人がKILL BILLを観たとき感じる日本語のずれを滑稽だとか果ては不愉快だとか、そんな言葉で片づけてしまうのは危険です。そのずれが滑稽・不愉快なのならば、日本語歌詞の歌の中で突然英語の歌詞が出てくるのも滑稽・不愉快なはずです。でも英語の歌詞を言葉ではなく音としてとらえているから、滑稽でもないし不愉快でもありません。では逆に英語圏の人たちがその日本語歌詞の歌を聴いたときはどうでしょう。日本語の歌詞は音としてとらえるはずですし、急に英語の歌詞がでてきたときには日本人がKILL BILLを観たとき感じた言葉のずれを感じるでしょう。英語がプリントされているTシャツを日本人は何のためらいもなく着ていますが、よーく読むとおかしな英語が書いてあるなんてこともあります。「原宿」「東京タワー」なんて書いてあるTシャツを着ている外国人を見るとなんだか恥ずかしくなってしまうのと同じです。
言葉のずれが引き起こす滑稽さ・不愉快さは日本人自身にも当てはまります。なので笑えない状況なのに笑ってしまうのは、言語に対する意識があまりに低いと僕は思います。ずれが笑いを引き起こしますが、この場合は自国の言語に対する意識の低さを露呈するだけです。
ユマ・サーマンとルーシー・リューが日本語を喋るたびに館内で何度もくすくすと笑いが起きていました。お前が着ている不可解な英語のプリントTシャツもそうやって笑われているんだぜと思うと、ちょっとだけ悲しくなりました。

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2003年12月10日

東京は「と」う「きょ」う

フォーン・ブースを観ました。批評サイト等ではかなり評判が良いですが、日曜日だったにも関わらず、がらがらでした。恐らく宣伝が悪かったのでしょう。
電話ボックスというシチュエーションだけであれだけ見せられるのは驚異的です。長さは約80分と長編映画にしては短めですが、徹底的に、ヘビーデューティーに、サスペンスです。久しぶりにどきどきする映画を観ました。
ただひとつ、気になったことがあります。主人公の名前です。Stuartというのが名前なんですが、愛称でStu(ステュ)と呼ばれています。セリフで聞こえてくる音は明らかに「ステュ」です。ですが、字幕では「スチュ」になっています。日本語でもステュアートではなく、スチュアートと書くからそれはそれでOKかも知れませんが、劇中では「ステュ」と言っているんです。「スチュ」なんて言ってません。細かくてどうでもいいといったらそうです。でも気になります。「スチュ」ではなく「ステュ」です。そして「フォーン・ブース」ではなく「フォン・ブース」です。
英語を日本語読みするとき弊害は起きますが、できるだけ元に近い音で読めばいいのにと、事ある毎に思います。日本語を英語読みする場合もそうです。東京は「きょ」にもアクセントがあるのに「と」だけにアクセントを置く英語読みなんてどうかしてると僕は思います。英語しか知らない人がそう読んでしまうのは良しとしましょう。あとで「『と』うきょうではなくて『と』う『きょ』うだよ」と教えてあげればすむことです。しかし逆の場合、つまり日本人が英語よりの読み方で読んでしまう場合はすごく惨めな思いになります。例えば新幹線のアナウンス。「ネクスト・ステイション、『ト』ウキョウ」。……悲しいです。僕はその度に東京は「『と』う『きょ』う」と心の中で何度も唱えます。
全く同じ発音で喋れ、もしくは書けということではなく、母国語を使ってできるだけ近い音、文字で表そうよということです。「スチュ」は「ステュ」、「フォーン・ブース」は「フォン・ブース」です。……まてよ、あえてこう表記しているということは何か大きな策略があるのか? それとも20世紀FOXからの曲げられなかった指示なのか?

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