2007年6月 3日
余分なものはとにかく捨て去れ。
http://to.tumblr.com/post/2834184 より
最近のグラフィックとかデザインの流れは、コラージュかノイズとかなのかなぁ。
毎日、いろいろ見てるけど。
こう、ごちゃごちゃっとしてて、こじゃれてて、きれいで、ストライプだったり、軽い色だったり。自分の気分は、ずっとこういうものから外れてて、簡単で、単純で、力強いものを求めてる。
((まるっとしたもの))が、((ぼーん))とおいてあって、おわるような。
シンプルでモダンなもの。
としのせい、だけじゃない、と思う。
僕は立場も環境も違うので正確なことはわからないし、今のグラフィックとかデザインの流れを定義づけるつもりもこれっぽちもないけれど、ポストモダン以降何にも変わってないということはどこの何を見てもそう思います。
変化がない訳じゃないが、俯瞰すれば微細な変化で、結局やっていることはデータ収集→分解→再構築につきるのではないかと。
RSSリーダーと同じ、tumblrも同じ。RSSリーダーに流されるfeedもデータだけれど、それももしかしたらどこからか集められてきて再構築されたものかもしれない。
とりあえずデータ集めて再構築して、というのが引用中「コラージュかノイズ」のことなのではないかと思います。
で、その「コラージュかノイズ」はちょっと前のコンテムポラリー・プロダクションのデザインに良く見られた手法ですね。いわゆる渋谷系のアートワーク、特にピチカート・ファイブにはそれが顕著に見受けられます。
たぶん、今の若いデザイナーはコンテムポラリー・プロダクションの影響を少なからず受けているでしょう。
あるいは影響を受けたデザイナーの影響を受ける、みたいなことにもなっているかもしれません。
だから、とは言い切れないですが、最近のグラフィックとかデザインの流れがコラージュかノイズとかなのかもしれません。
その上の世代のデザイナーを見てみると、例えば原研哉さんは、著書「デザインのデザイン」の中でモダニズムの延長というようなことを言っていたような覚えがあります。手元にその本はあるんだけれど、面倒なので正確な文章は探すのやめます(ただモダニズムの延長もポストモダンの掌の上で行われている作業だと僕は思います)。
しかしながら目にするのはコラージュかノイズのようなデザインが多くて、ぱっと見てわかりやすかったり使いやすいものってあまり見かけないですね。だからシンプル、機能美、必要最低限、のようなものに出会うとそれがすごく目立ってよく見えたりもします。実際優れているし、求心力もある。
コラージュとかノイズをずっとやっていると、「かっこいい、かわいい、けれど結局これって何が言いたいのか?」や「多機能だけれど、それの使い方が不明」みたいになってしまって、結局雰囲気だけで何も伝わらなくなります。
タイムリーな例はDoCoMo 2.0でしょう。あれは駄目だ。それにビジュアルって微妙に古くて見てるこっちが恥ずかしくなる。
その表現で何を伝えたいのかという目的を忘れてはいけない、無駄があっても良いとは思うけれど多すぎる無駄は目的を見失うってことですね。
まあ目的がはっきりしていないのが一番たちが悪いんだけれど。
いろいろあるとは思いますが、これはあくまで私見です。
全然違っていたらスルーしてください。


